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自分たちの発言できる場所を守るためにも商業主義に流されちゃいけない
最近雑誌がつまらないという話はよく聞く
そりゃそうだろう、構図はいろいろあるが結局のところ記事書くことで金もらってる先の悪口もかけず、おだてることしかできないんだから、宣伝広告文を読まされて面白いと思える方が不思議というものです
インターネット創成期、ホームページとは何かと問うたおばちゃまが
「ホームページなんて企業のカタログを読まされているだけでしょう?」
とわかったフリしておっしゃってましたが、それから1年も経たずに個人ページブームやらポストペットブームがやってきてテレホタイムが賑わうこととなるのでした
それらか10年余、現代では信じられないくらいのサービスがインターネットを経由して行われております
特に便利になったのは金融機関や旅行や買い物ですか、それ以外にもコミュニケーションの主軸がどんどんネットに依存されていく中で、しかし昔のおばちゃまの言葉が脳裏から離れないわけです
これだけ利用者が増え、便利な道具が増えているのに、情報発信の内容はそれに見合う進化はしているのだろうか?ってことをつくづく感じてしまうのです
テレビ、ラジオ、雑誌、新聞、これらが面白くなくなったのは広告主に対してモノが言えないからというだけでなく、金主に対して媚びた記事ばかりになってしまったからなんだと思うのです
インターネットはそういうことがない、いやそういう利用方法もあるけれど、そうでない利用方法もあるわけで、情報発信が制約少なくできるはずなんだけどね
インターネット界も広告があふれてます、という私もその広告を貼りつけております
広告を出して金を貰って記事を金に変えるのは否定しません、情報や知識というのは金に変えてもいいと思うのです、でも忘れないでいただきたいのはお金を貰うために文章を書く、動画を作るというのはまさにメジャーマスコミが衰退していった元と同じということなんですよね
最悪、金貰うために嘘書いたり、見てもない知りもしないことをあたかも見てきたかのように書いたりしてしまったらもう今の雑誌そのものになってしまうわけです
インターネットとは同人誌的な扱いだと自分では思っております
商業的にはできないことを、商業ベースではないところで発表する場所
その発表したものを売ったり広告取ったりして金に変えるのはいいんです、やっぱり何かを産み出すってのには金や時間がかかりますからね
でもその逆、つまりお金を貰うことを前提に媚びたり書きたいことを書けなくなったりというならば意味が無いと思いませんか?
何がいいたいかと言えば、同業者がよくやっているアフィリエイトセミナーなどのこと
SEO対策をしなきゃならんというのは理解できますが、しかしアフィリエイト用に立ち上げたブログが意味のない情報やキーワードを乱立させてしまってます
一瞬の小銭のために自分たちが守るべき情報発信の自由の象徴であるブログ文化を潰してしまっていいのですか?と思うのです
アフィリエイトは一例ですが、最低限自分が見たもの、聞いたもの、考えたこと、言いたいこと、そういうのを発信しましょうよと、それが面白ければアクセス数は増えますし、アクセス数が増えればそれに見合うアフィリエイト掲載すればそれなりには金になりますから
ペンは剣より強いけれど、金には滅法弱い
皮肉の一つも言って本日の記事はここまで
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