© 愛知・名古屋・小牧のしゃべれるIT屋さん DGR Works All rights reserved.
とあるIT屋さんのボヤキ
自分の経歴を整理していて気がついてしまったのですが、なんとIT屋稼業20周年らしいんです
私の職歴の一番最初が航空自衛官です
高校生卒業時点でIT屋になんてなりたくなくて自衛隊に行ったのですが、自衛隊にもプログラムをする部署がございまして
そこの部署にも行きたくなくてレーダーを見る部署を希望したくらい、若い頃の私はIT屋になりたくなかったはずなんです
自衛隊をやめてハンバーガーショップなどでアルバイトをしておりまして、いつまでもフリーターではいけないだろうと社員になることを勧められましたが、ハンバーガーショップの店長というのも一生の仕事にする気がなく、いつまでもフリーターではいかんだろうという店長の勧めにより就職活動をするも、結局自分にはプログラムするしか価値がないのだと痛感させられ、同級生が働いているベンチャー企業にしぶしぶ就職したのが21歳の頃でした
本当に役立たずの公務員上がりの世間知らずの若僧だったにも関わらず面接時に
「三年後には独立しますので修行だと思って給料はいくらでも文句はいいません」
と社長に宣言をしてしまいまして
本当に三年後に
「勉強させていただきましたので独立起業させていただきます」
と会社をやめて社長になったのが24歳の時です
それ以来、30歳の1年間、NTTの派遣社員をやらせていただいていた時期を除いてずっと経営者でもあります
儲かって派手に遊んだ時期もあります、従業員を泣く泣くリストラしたことも、会社を潰したこともございます
人生の帰路に立った時、結局自分の身を助けてくれたのがやりたくなかったIT屋としての経験と技術だったという皮肉な結果です
しかし不思議なものでして、この20年間のIT技術の進化はとても激しく、私が20年間で積み上げてきた成果も実績もあっという間に風化してしまい、まったくもってこの世に存在していないのです
ですので職務経歴などというのを書けば書くほど虚しくなるのです
一昨日日本モンキーパークに行きますと、今は亡き我が父が溶接をして組み立てた若き太陽がそびえ立っております
大阪に行けば同様に太陽の塔がそびえ立っており、名古屋港に行けばそこら中に父の溶接した丸い建造物が今でも残っております
はて、私は残り少ない人生の中で、果たしてIT屋としてこの世に何か残せるのだろうか?
これからも通信技術の進化は凄まじく進化するでしょうから、今一生懸命に何かを作ったとしても数年で消え去っていくことでしょう
だからIT屋なんてやりたくなかったんだと思いつつ、これからもきっと何かあるたびに生き残る術としてIT屋として生き残り続けるしか取り柄のない人間でもあります
自分、不器用ですから
嫌だ嫌だといいながら20年もお付き合いしてきたIT稼業ですので、今後とも適切な距離感を持って接していくしかないのだと
40代になって聞き分けのよくなった自分に言い聞かせながら残りの人生もしがないIT屋として生きていくことを決意した20周年でありました
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。