© 愛知・名古屋・小牧のしゃべれるIT屋さん DGR Works All rights reserved.
見たいものしか見たくない 聞きたいことしか聞きたくない それがインターネットである
テレビや新聞などに煽られて反感を持つ方が多い反面でネットを無意味に持ち上げたがる人がいらっしゃる
テレビは新聞などは確かに主義主張など画一的になりすぎて危険視するのはわかるが、それでもなお公共の物としての意識からか公平性を保とうという努力を認めるべきである
一方でネットの怖いところは山ほど情報が出る反面でその取捨選択の課程において自分たちの都合のいい耳障りのいいことしか拾わなくなるという、ある意味情報の海の中で孤立化することにある
元々ネットというのは共有ツールとしては非常に優れている
似たような考え方をしている人達は現実社会でマイノリティであればあるほどネット上でのそういった想いの共有化に感動することだろう
そしてそれらはクラスタと呼ばれる固有の小さな集団となり、いずれはそれ以外の意見を排除するようになってしまう
ネットを使わなくてもある程度のところで似たようなことは起こっているので想像できる方は多いと思うが、時間と距離の概念をすっ飛ばしてしまう道具であるネットにおいてはこの傾向が非常に出やすいのである
テレビや新聞は公共のメディアたらんとしているのでマジョリティに対して発信するためまだ影響力を保持しているが、ネットはいつまで立ってもマイノリティの集合体であり、意見の集約や世論の形成などには実は向いていないのではないかと思っているわけです
というか、どちらかと言えば「自分の意見は人に理解されない」というような人達の馴れ合いの場として最適なのであってマジョリティが使って楽しいツールではないと言うことである
当然マジョリティはそれなりに共有感を楽しむこともできるのだが、それ以上の何物でもないので特にネットでなければならないという実感が出ないだけであり、実際にマジョリティでも使っていて楽しいと感じることがあることも否定はしないんだけどね
小さなマイノリティのクラスタが形成され、モザイク上にネット世論というものが形成されてもそれらが結合して大きな世論になり得るのかどうか
ひょっとしてそれらクラスタを面として大きく繋ぐことができるようになるツールが出るのか出ないのか
わかるようなわからないようなネットコミュニティのお話を書いてこの記事を終わらせていただきたいと思う
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
同感です。
マイノリティは、所詮マイノリティ。
ネットに関して素人な人間ほど持ち上げたがるのかも知れませんね。
でもそれってもしかしてジェネレーションギャップは関係ありますか?
世代によって理解できないとか、想像できないモノかも知れないし。。。
世代の感覚の違いがわからないともっと理解できないもののような気もする。
世代間の感覚の違いもまた1つの要素なので内包されますよ